“買わない判断”も立派な投資行動

投資を始めてしばらくの間、私は「買わない=機会損失」だと感じていました。
気になる銘柄を見つけて、そのまま何もせずにスルーした後、数日で株価が上がっていた。
「あのとき買っていれば」と、画面の前で何度も悔しい思いをした記憶があります。

だから、少しでも上がりそうだと感じた銘柄があれば、理由を後づけしてでもエントリーするような癖がついてしまっていたと思います。
とにかく“何かを持っていないと落ち着かない”。
“買わない”ことが、まるで行動をサボっているように思えたのです。

でも今は少し違う感覚を持つようになりました。
むしろ、あのとき買わなかった判断こそ、最も冷静でリスクに向き合った行動だったのではないか──そんなふうに考えるようになりました。


目次

買っていないときほど、不安になる不思議

人間というのは不思議なもので、現金を持っていると「このお金を何かに使わないと」と思ってしまうところがあります。
特に株式市場では、何も買っていない=何もしていない、という感覚になりがちです。

でも、本来の目的は「行動すること」ではなく「資産を増やすこと」です。
そのためには、買わないという選択肢も“積極的な判断のひとつ”だと、今でははっきり思っています。

無理に買って、あとから「やっぱりやめておけばよかった」と思うくらいなら、最初から見送りの判断を下すほうがよほどリスク管理として優秀です。


買いたい理由に“納得”がなければ買わない

今の私は、銘柄を見て気になったとしても、すぐに買うことはあまりありません。
特に以下のようなケースでは、ほぼ確実に見送ります。

  • 「なんとなく上がりそう」だけで理由が言語化できないとき
  • 上がっているから乗り遅れたくないと感じているとき
  • 自分のポートフォリオと無関係なセクターに惹かれているとき
  • SNSで話題になっていて焦っているとき

逆に言えば、「なぜ買うのか?」という問いに自分が納得できる答えを持てるかどうかが、買う・買わないの境目です。

この「納得できる理由がなければ、買わない」というルールを設けたことで、無駄な売買が大幅に減りました。
そして不思議なことに、買っていない時間のほうが、今は安心感があります。


自分にとって“適した投資行動”がないタイミングもある

相場には波があります。
そしてその波と自分の投資スタイルが合うタイミングと、まったく噛み合わないタイミングがあると思っています。

たとえばボラティリティが高い相場、あるいは出来高が薄くて値動きが読みづらい相場では、自分のルールに合った行動ができる確率が低い
そんなときに無理してポジションを持つ必要はありません。

自分の戦略が生きる場面が来るまで待つ──それもまた、立派な投資行動の一部です。


「今、買わなかった自分」に自信を持つということ

買わない判断には、“何もしていないように見える”というもどかしさがあります。
特に他人が利確報告をしているのを見ると、「自分は置いていかれているのでは?」と焦る気持ちも出てきます。

でも、私は何度も経験しました。
焦って買った株ほど、たいてい高値掴みで、結局あとから「なぜ買ったのか思い出せない」と後悔するのです。

だからこそ、「あのとき買わなかった自分」は、むしろ誇っていいと思っています。
感情ではなく、判断の軸で行動した自分
それは投資の経験値が少しずつ蓄積している証でもあります。


行動=買うこと、ではない

投資における“行動”という言葉には、どうしても「買う」「売る」という意味が強く紐づいています。
でも実際には、

  • 見送る
  • 分析だけする
  • 待つ
  • 避ける

といった“静的な行動”も、すべて判断の一環です。
むしろ資金を守る、という目的においては、これらの行動の方が本質的な意味を持っていることすらあります。


まとめ:買わないという選択に、もっと自信を持っていい

振り返ってみれば、「買わなかったおかげで助かった」局面は意外と多かったです。
なのに、買った銘柄で失敗したときだけ、自分を責めていた。

今では、「買わなかったから何も起きなかった」ことも立派な成功体験だと捉えるようになりました。
“何もしてない”のではなく、“何も起こさなかった”のだと。

そう考えるようになってから、投資に対する構えが少し変わった気がします。
そしてその変化こそが、投資リテラシーのひとつの成長なのかもしれないと思っています。

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